2013年4月30日火曜日

バランス感覚のないサラリーマン

縁石でバランスをとっては落ち、またとっては落ち、を繰り返しながら電話をしていた人

2013年4月27日土曜日

月天閣

写真展の店番を終え、台湾に帰る二人の送別会の後、家路に着く。
通天閣と月が隣り合い、
「ああ、ツキテンカクだ」
とロマンティックな思いに耽っていると、突然、横からの大きな衝撃。
おっさんが自転車で衝突してきたのだった。
地面に転がったおっさんのケータイからは
「あん あああん あん」と喘ぎ声が聞こえる。
ケータイの画面でAVを見ながら自転車を運転し、ぼくに衝突したのだ。
この町にはロマンに浸る隙間もない。 @恵比須町

鶴好きの弟を持つ老人

新世界市場のいちばギャラリーで自身の写真展の店番をする。

「うちの弟もね 鶴を撮ってたのよ。いつも日本中あちこち行っててね 
 なかなかええ写真撮るのよ」

とぼくには終始「弟と写真の関係」だけを話し、
ぼくの写真は全く見てくれなかったおばあちゃん。

まあ、こんな老人から子供まで、
アートなんかまったく興味がない人たちまで見てくれるのが、
ここ新世界のいいところ

驚きの寝場所

大きなマンションの入口で寝る少年。
今まで数々の寝ている人を撮ってきたが、
寝場所としてはもっともおかしいかもしれない。 
どうしてこういうところで寝れるのか、そして、寝ようと思ったのか。
謎は深まるばかりである。 @上本町

居場所のないハーモニカ

このおじさんはいつも夜中のバス停でハーモニカを練習していたおじさんではないか。
昼間は公園で練習していたのか。前回は『ふるさと』を吹いていたが
今回は『荒城の月』『オブラディ、オブラダ』を吹いていた。
曲の難易度があがり、上達しているような気もしなくはない。

しかし、どうして家では練習できないのか。家の壁が薄いのだろうか。
奥さんが怖いんだろうか。 @上汐

2013年4月25日木曜日

14頭身

まったく服を魅力的にみせない、妙に肩幅の広いマネキンであった。  @九条

電車を待ちながら

いい缶コーヒーの持ち方をしていた。 @深江

膝を立てたかったサラリーマン

橋の下で寝ている人はよく見るが、橋の上は珍しい。
どうしてもう少し左に寄って足を伸ばさなかったのか。

暖かくなってきたので外で寝ている人をよく見かけるようになってきた。
いい季節だ。 @神路

ハトに見捨てられたおっさん

おっさんがハトにえさをやっている。


うしろから突然おばあちゃんが現れ、ハトにエサをやる。
ハトは容赦なくおっさんを見捨てる。  @今里


2013年4月24日水曜日

雨上がりの夜空に

通天閣にはサラリーマンも似合う

面倒くさがりのおっさん

靴下を上げるのさえ面倒くさいのであろう   @恵美須東

2013年4月22日月曜日

聖霊会 


四天王寺の聖霊会にやってきた。
聖霊会とは聖徳太子の命日を偲んで行なわれる、舞楽法要。
1400年の歴史を持つ。

特に楽しみにしていたのがこの太鼓。
いつもは四天王寺の博物館で展示されていて
聖霊会の時には実際に使用されると知ってぜひ見たかったのである。
いまだかつてみた太鼓の中で最大!




決して綺麗な音ではないけれど五臓六腑に染み渡る。
巨人の足音のよう


こんなに盛大に1400年も供養されるなんて、幸せ者だなあ、聖徳太子は。


色鮮やかな舞を見て振り返ると色鮮やかな赤い箱。
この神聖なる舞をマクドのポテトを食べながらみていたおっさんである。

2013年4月20日土曜日

『隙ある風景』 写真展








待望の『隙ある風景』写真展、はじまりました。
まるでスーパー玉出のようなライティング。かなり理想に近い。

友人のONAちゃんの主催するONA BAR で出展。そして、久しぶりにDJもする。
そして、場所は 味園ビル 1F  PRATAS。
以前、このビルの地下1階MACAOというクラブで開催されていた
今や、伝説といっていいだろうパーティ "FLOWER OF LIFE"に
多大な影響を受けただけに、このビルで写真展をするというのは特別な感慨があった。
このビルがなければセルフ祭をしていなかっただろう。

D.I.Y.精神 を教えてもらったのがF.O.L.だ。
当時、ぼくと同年代の20代半ばの人々が、自分たちで廃墟をクラブに改装し、
どこにもない最高のパーティをしていたのは衝撃だった。
音、ビジュアル、お客、すべてが最高だった。
あれから十数年経ち、ちらほら他のクラブにいったけれども、
正直、MACAOでやっていたF.O.Lを越えるものにはまだ出会っていない。

そして、セルフ祭のボス、
コタケマンに初めて会ってセルフ祭に誘われたのがまさにここ。
ここは因果な場所なのである。






写真展のチラシを添付。複数会場で同時多発開催。
それぞれの場所は歩いてまわれる距離。
置いている作品も違うのでそれぞれの場所でぜひ。
ここPRARASはこれを書いている時点でもう終了してしまっているのだけれども、
tamutamucafe で 5月31日まで
いちばギャラリーで 5月21日まで開催中。
PCモニタからではないリアルな『隙ある風景』をぜひ。


tamutamucafe
http://www.facebook.com/tamutamucafe
OPEN 18:00-24:00 (不定休 週末はイベント出店のため休み多し)
詳細スケジュールはこちら
〒542-0073 大阪府大阪市中央区日本橋2-18-6


いちばギャラリー
http://ichibagallery.nomaki.jp
OPEN  平日 13:00-18:00  土日 12:00-18:00 夜カフェも不定期にオープン 木曜定休日 
詳細スケジュールはこちら
大阪市浪速区恵美須東1-22-8(新世界市場内)





2013年4月19日金曜日

ツツジオヤジ

ツツジが咲いていることに関心を払っては罰せられるかのように
ただ花に無関心に職務を務める警備員。  @西梅田  

布団男

地下鉄の入口から突然現れる。

顔のサイズがかなり大きいことにまず焦り、
次にそれが布団であることに驚いた。  @六万体

2013年4月18日木曜日

鹿児島の余韻

一夜明けてホテルの前で記念撮影。みな寝不足&二日酔い気味である。




ちなみにこれが初めに全員集合したときの凛々しい姿。
もはやこの時の初々しさは、ない。







解散後、地元吹上町に住んでいるデザイナー大寺さんの家におしかける。

門をくぐると、唖然。片田舎に現れたモダンなる何か。
しかも、壁の色はぼくが大好きなマラケシュの家並みのピンク。



庭を横切るとタイムマシンのような超人工物。
しかし、不思議と自然と調和しているのである。不思議と。



渡り廊下を渡り、家へとアプローチ


家主 IN 仕事部屋

家の前は崖に茂る緑。
こんなものを前にいつも仕事をしていたら考える企画の質も変わるに違いない。

大寺さんは一度、渋谷の一等地にまで事務所を構えた売れっ子だったらしい。
しかし、そんな生活にふと疑問を感じて祖父の家があった吹上に引っ越した。
そんな、大寺さんは田舎に戻ったからといって都会を諦めていなかった。
都会的なセンスで家をつくり、服を着こなし、物欲もあきらめていなかった。
決してDown to earth じゃない田舎暮らし。
それが、とても新鮮だった。

発起人の浜地さんは蒲生市で武家屋敷を改装したカフェをしている。
ラーメン屋のポスターを作った橋本さんは鹿児島にゆかりもないのに
東京から居を移し、鹿児島で有名な雑貨店とカフェを営んでいる。

作品のクリエーティビティは東京や大阪の方が高いかもしれぬが、
生活のクリエーティビティはここ鹿児島の方が高いように思えた。






発起人の浜地さんと大寺さん。ナビでぼくの帰り道を考える。
ありがとうございました。

これから鹿児島が、デザインの力でちょっとずつ元気になっていきますよう。

2013年4月17日水曜日

鹿児島におしかける その3

終了後、本日宿泊予定のホテルの近くの吹上浜というところに連れて行ってもらう。
ここはウミガメの産卵地とのこと。
カメは居なかったがヒトもいない。見渡す限り、誰一人いない広大な砂浜。
サーフィンしたいぞ、と思った。できないけれど。
最近行ったマレーシアの海よりもきれいじゃないか。
日本にもこういうところあるんだよな。


ここに連れてきてくれたのは大寺さん。
今回の首謀者の一人であり、参加者でただ一人永吉に住んでいる人である。
それにしてもなんだ、この二人は。
ここにない色はないのではないかと思うほどに、二人の色は派手だった。







































「こんなのありますよ」
と大寺さんに手渡された謎の物体。まるで桜の花びらそっくりだ。
これは『スカシカシパン』というウニの一種の抜け殻。
スカシカシパンの他に、綺麗な貝殻がたくさん落ちている。
お土産とばかりにたくさん拾う。
家に帰って子供にスカシカシパンを渡したら
「これ、神様が書いたの?」と考えうる限りで最高の質問がかえってきた。

大寺さんはいつもここに誰かを連れてきては試すらしい。
夢中になって拾う人はいい人で、
「きれいですねえ」といいながら
ただ、海をみてぼーっとしている人はたいしたことないらしい。
ぼくは、試験にパスしたようだ。





ホテルでは打ち上げとそして今度のODの熱い話が。
ぼくも部外者ながらも熱く話してしまったのであった。

そこそこにしてぼくは寝る。

鹿児島におしかける その2

ポスターの中でいちばんコピーが好きだったのがこれ。
ちょっと小さくてみにくいか。


「誰が来たかエンヂン音でわかるがよ。」

と。ちなみにこれを書いたのは最年少参加のデザイナー 馬頭さん。


これがいちばん人気だった。
制作者、お客さん、双方の一番人気。
細かなところも丁寧に作り込まれていて完成度高し。





おもしろいのがポスターにこういうのがつけられていくところ。



このおじさんがマッサージをしてくれた。みかんも一切れくれた。
おれの人生、こんなにスポットライト浴びた日はなかったよ、と 
言わなかったけれども、言っていた。



あそこがしたのならとばかり、他の店もどんどんサービスをつけていく。
夕方にはすべての店に何かしらのサービスがあった。






ポスター展は15時頃に終了。
もちろん、これから永吉がどうなっていくかが大きな課題ではあるが、
今日に限って言えば、店主たちが喜んで、お客さんもメディアも来て、
まるで町そのものが結婚でもしたかのように、
鹿児島中の祝祭の気分が集まっていた。

そう、なんだか友だちの結婚式に鹿児島まできた気分。
そして、終わった後も結婚式後のように、他人の幸せが感染した。

大成功だとぼくには思えた。
それは、参加者の顔にも現れていた。

鹿児島におしかける

ここは鹿児島県日置市。
新世界でやっていたポスタープロジェクトがここでも
行なわれるということで急遽、やってきたのだった。

主催しているのはOSHIKAKEデザインかごしま
鹿児島のグラフィックデザイナーを中心に12名が集まった
デザインの力で町おこしをしていこうというユニット。

第一回は鹿児島県日置市吹上町永吉。
平成の大合併で役場のあったまわりに栄えていた町は
突然変わってしまったのだそうだ。
この町をポスターの力で盛り上げようと12店舗を12名のデザイナーが
それぞれ担当し、地元の市にあわせて、今日、お披露目となるのである。


ラーメン屋さんとポスターをつくった橋本さん 
昼飯はここのラーメンだった。昔ながらの、本当に昔ながらの醤油ラーメンと
カンスイの味がたっぷりする黄色い麺。ほっこりおいしかった。







こちらはポスターを挟んで話し込むおばさんとコピーライターの大迫さん



カメラマンだけどもコピーもデザインも自分でやった児玉さんと
和菓子屋のおかみさん。メディアの取材もたくさん来ていた。
それにしても、ここの「かるかん」はめちゃくちゃうまかった。




これはOSHIKAKEデザインかごしまの発起人浜地さんがつくったポスター。
「映画俳優みたいねー」とおばちゃんたちが言うと、
少し照れていた硬派な店主がかわいい。

ここは商店街ではなく、商業地区と言えばいいのだろうか、
田舎の町でお店が集まったエリア。
アーケードがないのでポスターぶら下げるでもなく、このように額に入れて飾る。
この額は地元の木工屋さんがボランティアで作った。とても立派な額だった。








雨、しかも平日にもかかわらずお客さんは多い。
各ポスターにスタンプを置いて、スタンプラリー形式にしているのが
人を良い感じで循環させていた。

地元の小学生も見学にくる。ポスター見学は授業に組み込まれたそうである。
地域が一体となったポスター展である。

(つづく)

2013年4月15日月曜日

大阪人の信号の待ち方

誰にきいたのだったけな。
大阪人は進行方向の信号ではなく、横の信号をいつも見ている、と。
横の信号が赤になると、前の信号が赤でも渡る。
そう言われると、確かにぼくも横を見ている。
東京で暮らしているときは前の信号を見ていたのだけれども。   @本町