2014年5月30日金曜日

難波のシマリス

難波のど真ん中でシマリスを散歩するおっさん

「写真を撮らせてください」と言ったら快く応じてくれた。
こういうタイプのおっさん、目立ちたいからこういうことしてるので
写真を撮られるのはうれしいのである。
こういうタイプのおっさんと何人か接してみてわかったことではある。
みなさんもこんなおっさんを見かけたら臆せず話してみましょう。
向こうも絶対うれしいはずだから。

不食パン

この日は確かに暑かった。
とはいえ、5月末で裸は早すぎる。
着ているのがボアの裏地のついたロングコートであり、
中間のものがないからであろうか。

足元にはパンの塊が転がっていた。
食パン1斤をまるまる周りから食っていってこの形になったのであろう。
もちろん、地面に落ちたパンであるが、この後しっかり食べていた。 (梅田)

スタバな風景

スタバでMacbook Air 。もうお決まりの光景になってしまった。
Think different とうたったMacもこれじゃThink same である。
というぼくもこの後カフェラテ飲みながらMacを広げたのであるが (北新地 大阪)

2014年5月29日木曜日

広告の神様がくれたもの

本日は、リーガロイヤルホテルにて授賞式。


佐治敬三賞という立派な賞をいただいた。

佐治敬三賞の説明は以下の通りである



本賞は、大阪広告協会創立20周年事業(1967年)に、サントリー株式会社の協力を得て、大阪広告協会サントリー奨励賞として制定された。以来、広告技術の向上を目的に、常に広告文化の新しい時代を拓く若きクリエイターを顕彰してきている。サントリー株式会社 佐治敬三氏の広告クリエイターに対する限りない期待と当賞への情熱を称え、2000年より大阪広告協会“やってみなはれ”佐治敬三賞と改められた。
とても簡単に言うと「関西でもっとも勢いのある広告人に与えられる賞である。 一連の商店街ポスター展が評価されての受賞であった。受賞理由は以下の通り。


広告は、単に物を売るためだけのものではなく、人を幸せにする力や感動や共感を呼ぶ力を持っていることを身をもって体現した。メディアが多様化して次々に新しいことに目が向いていくが、一連のポスターや看板が、広告の原点を見せて、多くの感動を呼んだ。

セルフ祭に呼ばれ、その後、ポスター展をはじめてから、まさかこうなるとは思いもよらなかった。賞をもらうためにやっていたのではなく、商店街とポスター制作者の若手を思ってやっていた。偽善のように聞こえるかもしれないが本当である。自身がこの賞を応募していた5、6年前は賞が欲しくてしかたなかったのに、私利私欲を捨てるとこうなるのである。何だか仏教の教えのような結果になっている。 そして、やるからには徹底的に遊ぼうと思った。ポスターをつくるみんなが思い切り羽を伸ばせるようにと。だから、それぞれのポスターがおもしろく、結果、このプロジェクトが成功したのだと思う。





楯には関西の二人の財界人の署名がある。

2人大阪商工会議所の佐藤会頭の署名があった。
佐藤さんは大阪広告協会の会長であり、京阪電鉄のCEOでもある。

会頭は文の里商店街に実際に足を運び、ポスターをiPadで撮りまくり、

「これはおもしろい、これは露骨やなあ」と1つ1つをしっかりと見定めた後、
商店街にあるGOAGOAという狭いBARで肩を並べて一杯をともにさせてもらった。
「ぼくは昔、宣伝担当してて、広告が好きでねえ」
と写真を撮ったポスターを1枚1枚みながら作品を振り返っていた。
本当に楽しそうであった。
「商店街にお金を落とさないかん」とたくさん買い物をし、
お酒を飲んで、みんなにおごってから帰っていった。
一介の会社員や、店主などに対しても偉そうなところは1つもない、
度量の大きな方だった。

楯には、もう1つ、佐治敬三氏の「夢」という文字があった。
佐治さんはサントリーの2代目社長で日本に洋酒文化を確立させたり、
サントリーホールを作ったり、日本の広告界を引っ張ってきた人。
日本広告協会(今のAC)を設立し、
佐治さんの「やってみなはれ精神」に支えられた
サントリーのとがった広告は日本の広告をリードしてきた。
まあカリスマの企業人である。その佐治さんのことを調べていると

「猛烈に働いてもいいが、猛烈に遊ぶということができないといけない」


と佐治さんがと言う発言が出てきた。
今回の受賞はセルフ祭で新世界の仲間たちと猛烈に遊び、
ポスター展で電通のスタッフたちと猛烈に遊んだ結果である。
という意味で空の上の佐治さんも喜んでくれているはずである。

これからさらなる「大きな遊び」を自らで作って、みんなで遊びたい。

一緒に遊んでくれたみんな、ありがとう。

そして、二人の名前が入ったこの楯は宝物だ。






最後に自身が受賞のコメントを述べる。
内定が決まってすぐにFacebookに書いた文章が
当時の歓喜の温度感が残っているので、ここに転載する。

その前に告知を。
以下の日程で受賞パーティを開催します。
佐治敬三賞受賞者は賞金50万円を使って派手に
受賞パーティをしなければならないという暗黙の伝統があるである。
「佐治敬三」という名前に負けない、猛烈に遊ぶ宴会をいたします。
アホに盛大に、食事は商店街のものをご用意。
場所は、宇宙の宴会場、味園ユニバース。
誰でも参加OKなのでぜひお越しください。
なるべく安くしようと思います。
出席希望の方はぼくまでご連絡ください。

7月25日(金)19:00〜  味園ユニバース 

申し遅れましたが、スーツは自前です。



佐治敬三賞なる大変ありがたい賞をいただきました。

意気揚々と電通に入ったけれども「働く前に世界を見とかな」と思って旅に出て、内戦中のアフガニスタンなんか見たら、気持ちが180度変わって「わ、おれ入る会社間違えたかも」と思ったら、やっぱりそうで「なんで必要なものがまったくない国があるのに、不必要なものを売る手伝いせなあかんねん」「資本主義の手先になるなんていややー」と入社して数年間は何度やめたいと思ったか、どこか旅したいと思ったことことか。広告は天職ではないという考えをずっと引きずりながらも、ただ自分が臆病で辞める勇気がなかったから広告を続けていて、自分を広告にあわせようと必死に言い聞かせて、大きな賞はもらったけど、そんな無理がたたったのか病気になって、仕事休んで、そんなときに子どもができて、妹を亡くして、震災が起きて、自分に残された時間は限られているということをしみじみと感じて、人生のギアを入れ替えて、生きるスピードをあげて、特に遠慮している時間と恥ずかしがっている時間を捨てて、そして、自分を広告にあわすのではなく、広告を自分にあわせた。それが、今回の賞につながったんだと思う。これからずっと広告続けるかわからないし、今後何してるかわからないけど、「これでよかったんやで」と神様に言ってもらえたようで、うれしいというかほっとしたというか。

ぼくみたいな人間がこの賞をもらえるということは、「広告が好きでたまらない人間」ではなく「広告ってどうなんやろう?」とうじうじ立ち止まっている人たちにも希望があるということで、そんな人たちも、自分を無理して広告にあわすのではなく、広告を自分にあわせて、より広告と世の中を豊かにしてほしいとおもいます。

こんなお金をまったく生んでいない仕事を認めてくれた審査員および大阪広告協会の方々に感謝です。新世界市場、文の里商店街のみなさん、大商のみなさん、「やってみなはれ」と後押ししてくれた上司の方々、ポスターを作ってくれたみんな、セルフ祭のみんな、家族のおかげです。みなさんの力がないと受賞はありえませんでした。本当にありがとうございました。

2014年5月28日水曜日

COOLな女

 COOLISHをくわえたまま、信号待ちする女性。何やら探している。


探していたのはケータイ。


COOLISHをくわえたまま自転車は走って行った。 (恵美須西)



2014年5月27日火曜日

マナーが悪すぎた老人

禁煙パイポか何かと思いきや駅構内でばっちり喫煙していた。 (四天王寺)

2014年5月23日金曜日

なんとなく相合い傘

左の男性と右のおばあちゃんはペアではない。
おばあちゃんがなんとかして日光を避けようとした結果の相合い傘である。(堂島 )

2014年5月22日木曜日

気になる右足

片足がめくれたままの初老の女性

2014年5月21日水曜日

琵琶湖な関係



滋賀大学で講演があり、彦根へ。
帰り際の夕方に、子どもが祖母と釣りをしていた。
湖の近くに住むから見られる他では見られぬこの関係。(尾末町)

2014年5月17日土曜日

橋の下の世界

橋の下世界音楽祭に到着した。場所は豊田市、トヨタスタジアムのすぐそばの河川敷。
ヒッチハイクのゆうちゃんがおもしろすぎたので
もう道中でかなり満足してしまって、ピークすぎたような気がしてたが
会場に着いたらついた即テンションあがる。



河川敷では阿波踊りをしたり


 「ご自由におとりください」と土俵があったり、


太陽光パネルが設置されている。

入場無料という懐の広さ、
音楽祭を「橋の下」と名付ける開き直りと河原乞食精神、
すべて自家太陽光発電という独立性と社会性、
出演アーティストが魅力的ということもあるけれども、
このフェスのカタチに強く惹かれてやってきた。
このフェスどうなってるんだろう、と。



はじまった。目当ての1つ MARJINALというインドネシアのパンクバンド。



亜橋の下は満員

みかけはパンクだけど音楽はパンキなものもそうでないものもある。
ボブ・マーリーのような反骨性と博愛性を感じる。
音楽以前の「魂」といったものがあった。




ウクレレ&アコーディオンというかわいい曲もあり。


おっさんも乱入

ここで音源きけます。



インドネシア人のキッズがステージ前で盛り上がりまくる。
彼らは栃木に住んでいて、MARJINALの日本公演をすべて追いかけている。


メンバーのボビーと写真を撮ってもらった。
FUCKでありピースサインだって。
あ、ぼくは、橋の下ということで河原乞食に扮している。

この美人のおねえさんは中西あゆみさん。
フリーのジャーナリストであり、MARJINALを日本に紹介した人。
中西さんはパンクが好きで、ロンドンやニューヨークの
パンクシーンにどっぷりはまっていたが、ジャカルタでマージナルを見て
「この人たちを撮るのが私の天命」と啓示を受けてずっとドキュメントを撮っている。

マージナルはジャカルタでバンド活動をしながら
ストリートチルドレンたちに音楽やアートで食べる方法を教えているのだ。
本当のパンクスピリットは今、ジャカルタにあるんだ。

ぼくがMARJINALを知ったのは、自身も連載してる
ROADSIDERS' weeklyで掲載されていた中西さんの記事で読んだのである。
中西さんによると都築さんに「記事書いてみたら」と言われたのがきっかけなんだとか。
http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=294

ROADSIDERS' からMARJINALは日本に知られるようになった。
どこよりも粋な情報が早いROADSIDERS' weekly ほんとよいメールマガジン。
みなさまぜひご購読を。あ、宣伝入ってしまったね。
中西さんはジャカルタで彼らを追ったドキュメンタリー映像を制作中だ。

以下で音源聴けます。





会場は2ステージ。この古民家のセットにPILEDRIVER 。

中国在住の蒙古族のバンド HANGGAI。
ホーミーや馬頭琴などモンゴルの伝統音楽とロックのミクスチャー。

だんだんヴォーカルががたむけんに見えてきた。音はめちゃくちゃかっこいいが。

ヴォーカルは衣装を着替えた。ますますたむけんに見えてきた。音は相変わらずかっこいいが。
やっぱりたむけんだ。音は相変わらずかっこいいが。

 たむけんはノってきて、乗馬用の鞭を取り出し、リズムにあわせて打つ。
さすが蒙古族だ。

 橋の下はどんどん人が増えてきた

変な人もちらりと。



HANGGAI  最高だった。もうたむけんにしか見えないけど


ライブが終わって充実感あふれるふんどし男は、父親であったようだ。
父親の恰好の恥ずかしさにあきれ果て、もはや父親のことは一切気にしない
という悟りに至ったかのような、どっしりとした息子の目を見てほしい。


BING with ケンジル 

ケンジルは先日、京都の村屋で「ジュリアナ京都」という
客をお立ち台とみたてて、客に乗りながら、
踊ってマッサージをするという奇妙なパフォーマンスをしていた男。
ぼくも、ジュリアナ京都をしてもらった。
同じ衣装にパンツをはいていたが今日はふんどしを履いている。


OKI DUB AINU  BAND 。
アルバムほとんど持ってる大好きなバンド。

『美味しんぼ』騒動を皮肉って
「鼻血が出るまでがんばるぞ」を繰り返す。

トンコリの音がゆらゆらゆれてかっこいいんだなあ。


橋の端から阿波踊りの行進が始まる。



おっちゃんも上機嫌!


マージナルのメンバーと一緒に阿波踊り。
インドネシア人にも阿波踊りのリズムは響いたようだ。


阿波踊り、しかもこれがトリ!
ミュージシャンでもなんでもなくて、地元の阿波踊りのグループ
あいさつも普段はサラリーマンをしているであろう連長が
「今日はお集りいただき、ありがとうございました。
 呼んでいただいた○○さんと、××さんに・・・」
と、固いあいさつなのである。
これがトリ、なんて粋なタイムテーブルなんだろう。

インドネシア、モンゴル、アイヌ、阿波踊り、
何よりこのイベントを仕切っているTURTLE ISLAND、
みんなローカルな音楽を追求したらグローバルになっちゃった。
そういうのを「Glocal」というのかな。
豊田というローカルな場所で豊田の人々がやったローカルな音楽祭は
世界にぱっかり開かれていた。










TURTLE ISLANDの出番は明日だけれど、
この日は時折お囃子の行列で登場。

「おれたちの祭りじゃい」という我が祭り感、
岸和田のだんじりなど、日本古来の祭りにはあるけれども、
フェスやレイブには感じたことはなかった。
この祭りでありフェスであり豊田であり日本であり世界である、新しい感じの音楽祭。



翌日も祭りは続くが所用があり帰る。
来年も絶対、橋の下に行く。