2015年2月27日金曜日

初めての信号

歩行者用と車用が一体となったはじめて見る信号


青に青とわたれとうるさい。 (大須 名古屋)



高速の下の活かし方

高速の下にあった公園。








写真のようにスケーターのたちの公園となっている。
これは市の事業なのだろうか。すばらしい。
大阪もこれやればいいのになあ。
高速道路の下は死んでるところばっかりだし。 (大須)

大人の体育すわり

トラック運転手の束の間の休息。名古屋に来た。(栄)


2015年2月23日月曜日

堂島のトルストイ

堂島のトルストイを久々に堂島で発見した。
この前は4ヶ月前に生玉神社付近で見かけた。
ずいぶん西に移動してきている。

過去のトルストイの記事はこちらから。
http://keitata.blogspot.jp/2015/01/blog-post_25.html
http://keitata.blogspot.jp/2012/09/blog-post_6.html
http://keitata.blogspot.jp/2012/11/blog-post_4929.html
http://keitata.blogspot.jp/2013/04/blog-post_6809.html

えすかれえさん

田舎から出てきて初めてエレベーターに乗ったかのようなおばあさん。(東梅田)

2015年2月20日金曜日

杵築の隙


客のいない美容室ではおばさんがグラビアページを読んでいる。
女川から大分の杵築へ大移動。(杵築市杵築)




カブトガニのマンホール。
うらやましくはない。 (杵築市杵築)


みどりの土が入ったポリ袋に咲く花。
こういう花の植え方もあるのだな。 (杵築市杵築)



城下町杵築らしい風景。
ここといい臼杵といい「杵」という文字がつく
大分の町は風情があってたまらない。(杵築市杵築)

2015年2月17日火曜日

さよなら女川

この日は再びポスター贈呈式。
前回のポスター贈呈式で渡しそびれた人たちが店主にポスターを手渡す。
まずは大阪からわざわざ参加してくれた松本くん。



つづいて沼田さんと大竹さん。
孫に取材し、孫ののことばでコピーを書くという今までなかった切り口である。
おばあちゃんは、そりゃよろこぶよね。


森さんは子どもと一緒にポスターを贈呈。





木村さんは以前、仙台の広告制作会社の社長でバリバリ広告をしていたが、
ある日、広告を捨ててアートの道へと進んだ。
そして、女川ポスター展ではちょいと広告に戻ってきた。
女川ポスター展では木村さんはじめ、
年配の人も意気を感じて参加してくれた。




ポスターがすべて揃った。

女川の町にポスターが飾られていく。
女川の第一印象は色がない。すべてが更地ですべてが灰色だった。
ポスターはわずかだが女川に色を増やした。
更地に花を植えたようだった。
商店街のあちこちにとびきり大きな花を。
ポスターは免罪符だった。
もうそろそろバカなことしていいんだなと、
地元の人たちに思わせる免罪符であり、
もうそろそろバカな広告をしていんだなと思われる、
東北のクリエイターたちへの免罪符でもあった。
ポスターが喪明けを告げたようだった。僭越ながらそう思う。





女川ポスター展2月21日よりスタート。
まだ設営が残っているが別の仕事のため後髪をひかれながら女川を発つ。


2015年2月13日金曜日

ポスター設営の日々

本日もポスター掲出作業である。ポスターを持っていくと笑うおばちゃん。


おんまえやのスタッフさんと。



阿部マルキチ商店の社長阿部さん、同じ表情で。


おかせいのみなさん

モヒカンあわせで。
女川がノッてきたぜー!
ポスターを貼れば貼るほど女川が元気になっていく。




女川ゴミ

トラックが不思議な質感のものを運んでいる。
ガレキだろうかと思いきや、


大量のカキ殻。漁師町、女川ならではのゴミである。

2015年2月12日木曜日

金華山へ

女川から船に乗り金華山へ向かう。
金華山は東北では非常に有名な場所である。以下、Wikipedia より抜粋。

金華山は、島全体が黄金山神社の神域となっており、
地場の信仰の対象として有名である。
恐山、出羽三山と並ぶ「奥州三霊場」に数えられている。
「三年続けてお参りすれば一生お金に困ることはない」 
という言い伝えがあり、参拝客を集めている。




船内の掲示板。
キャッチフレーズおよびケータイの形に時代を感じる。
たった数年前のことであるが。


女川か約30分。金華山に到着する。
船着き場に着くと鹿がお出迎え。これは神の使い。
ここにある一切のものは神様のものであるので持ち帰ってはならないという。







参道はめちゃくちゃである。地震が破壊したのであろうか。
復興作業はここ金華山までは届いていないのか。


山道を歩くこと10分、境内に到着する。




ホタテの絵馬、東北ならではだ。




いざ島の中心の黄金山神社へ。




境内でも鹿がたくさん。
神様にお金持ちになりますようにとお願いして、船へと戻る。


寝てる人イン 連絡船。


金華山は竜宮城であったという伝説が残るそうだ。
え、まさか?
でも、竜宮城の「竜」をとったら、ほら。

まだぼくは1度しか参拝していない。
あと2年連続で参拝しなければ金持ちにはなれないから、行くしかないか。






帰りはのどかな太平洋。
ここで津波があったとは。

連絡船の運転手は津波発生時にちょうど沖合にいたそうだ。
助かるには岸に戻るのではなく沖に行くしかないと、
数十メートルの波のうねりを船で越え、
津波をやりすごした。
海が静かになったので港に戻ろうとすると、
たくさんの壮絶なものが流れてきた。
町はなくなった、そう確信したらしい。

2015年2月10日火曜日

女川の静かな一日


きのう納品されたポスターをお店に飾っていく。
ポスターをお店をはじめて飾るのは、
生まれた子どもが病院からはじめて家にやってきたようで、
よろこぶお店の人を見れるのはポスター展の醍醐味のひとつ。


ポスターが示す通り、大将は独身(だけど男前)なので
興味のある方は女川町の金華楼まで行ってほしい。




午後からはポスター展の告知もかねておながわ FMに出演する。
写真はパーソナリティの宮里さん。



おながわFMはドラマにもなった。
このドラマ、めちゃめちゃおもしろい。と会社の先輩に勧められた。



この方は番組に一緒に出演させてもらった岡さん。
女川でDiamond Headというライブハウスをしていたが、
津波で流されてしまった。
現在は「おちゃっこクラブ」というカフェ兼コミュニティハウスのオーナーであり、
女川伝統獅子舞グループ「まむし」のリーダーであり、
女川で祭りを開いたり、サーファーだったり、ギタリストだったり、
こうなりたいなと思う数少ないバカで尊敬する大人である。
その岡さんのコメントを聴いてほしい。
「震災から3年目とか4年目とか関係ないんだ。
 あの日から女川時間ってのが流れてるんだ。
 おれたちは透明なストローの中にいるんだ。
 まわりはすんげえ見えてるんだ。
 でもおれたちはストローの外に出られないんだよ。
 出たいんだけど出られないんだよ」

女川に何度も通うとそのストローがうっすら見えてきたような気もする。

2015年2月9日月曜日

女川ポスター展 贈呈式

早朝、河北新報社集合。そして、女川へ。


ポスター展は西台から女川へ。
伊丹の商店主が作ってくれた切符を握りしめてやってきた。


バスの中はポスターを作った制作者たち。
みんな静かである。緊張しているのか。朝が弱いのか。


ひとり朝に似合うのは東北芸術工科大学の学生、柴田君。


はじまりました、女川ポスター展贈呈式。ぼくは気合いをいれて挨拶をする。


司会進行のアナウンサーの高山さんと記念撮影。
テレビ番組にありがちな芸人とアナウンサーという構図のようである。



女川のホテル、華夕美のホールにて贈呈式が始まった。




みんなが思いを込めたポスターを直接手渡して行く。
ポスター展は都合4度目だが何度見てもここは感動である。


他の人の作ったポスターを見るのが制作者たちもうれしそう。


女川の商店主たちもすごく笑ってる。
本当によかった。
ギリギリまで実は不安だった。
女川の人たちがこれを笑えなかったらどうしようと。
やっぱり大きなことがあっただけに、笑えない人もいるのではないか。
心の片隅にずっと不安が巣食っていた。
女川の人が笑ったとき、肩の荷が随分軽くなった。
このプロジェクトの成功が見えたのである。


他のお店のポスターをが気になる商店主。
これもポスター展の常である。。




会場に来れなかった人たちは直接お店へ持って行く。


雪が降る中の贈呈だ。



ぼくがいちばん好きだったポスターはこれ。

これがぼくが感じていた女川をすべて1つに表していたように思えた。


木村電器商会のお母さんがまた
「うちはいつでも明るく元気です」って涙ぐみながら言うものだがら
こちらも涙ぐむしかないではないか。





最後はみんなで記念撮影
自身の髪型に違和感があること以外はすべて最高である。